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【読書メモ】ヒーリングキャット
2010-05-08 Sat 21:30
きみは、苦しむために
この世に 生まれて きたんじゃない。

生きることの すばらしさを
味わうために この世に 生まれて きたんだ。

だれも きみを
苦しめる ことなんて、できない。

きみは、自分で自分を
苦しめている だけなんだ。

「もう、苦しまなくて いいよ」
そう、自分に 言ってあげなさい。

 

きみは、愛されている。

うそじゃない。

ほら、こうして 生きているってことが、
その証さ!

 

生きているのが、つまらないなんて
言わないで!

花は、なぜ、あんなに きれいなの?
空は、なぜ、あんなに 青いの?

夕やけは、なぜ、
あんなに 美しいの?

星の かがやき、
流れる 雲を 見てごらん

人は、なぜ、ほほえむの?
人は なぜ 泣くの?

愛って、なあに?
人生って、なあに?

この世には、美しいものや ふしぎなことが
こんなに たくさんあるんだ。

ちっとも つまんなくなんか、ないでしょう?


    (葉祥明、「ヒーリングキャット(きみは守られている)」より)

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【読書メモ】うとうやすかた
2010-03-15 Mon 07:10
 「陸奥の外の浜なる呼子鳥鳴くなる声はうとうやすかた(伝藤原定家作)」と詠われた「善知鳥(うとう)」。伝説の鳥といわれていたが、現実にもいる。ただ、親鳥が「うとう」というと子鳥が「やすかた」と言うことはないらしい。
 この伝説から謡曲「善知鳥(うとう)」が作られた。

鹿を逐ふ漁師は、山を見ずといふ事あり。 身の苦しさも悲しさも、忘れ草の追鳥、高縄をさし引く汐の、末の松山風荒れて、袖に波超す沖の石、または干潟とて、海越しなりし里までも、千賀の塩竈身を焦がす、報ひをも忘れける、事業をなしし悔しさよ。そもそもうとう、やすかたのとりどりに、品変りたる殺生のなかに無慚やなこの鳥の、おろかなるかな筑波嶺の、木々の梢にも羽を敷き、 浪の浮巣をも掛けよかし、平沙に子を生みて落雁の、はかなや親は隠すと、すれどうとうと呼ばれて、子はやすかたと答へけり、 さてぞ取られやすかた。
 うとう。
 親は空にて、血の涙を、親は空にて血の涙を、降らせば濡れじと、菅蓑や、笠をかたぶけ、ここかしこの、便りを求めて、隠れ笠、隠れ蓑にも、あらざれば、なほ降りかかる、血の涙に、目も紅に、染めわたるは、紅葉の橋の、鵲か。娑婆にては、うとうやすかたと見えしも、うとうやすかたと見えしも、冥途にしては化鳥となり、罪人を追つ立て鉄の、嘴を鳴らし羽をたたき、銅の爪を磨ぎ立てては、眼を掴んで肉を、叫ばんとすれども猛火のけぶりに、むせんで声を上げ得ぬは、鴛鴦を殺しし科やらん。逃げんとすれど立ち得ぬは、羽抜け鳥の報ひか。うとうはかへつて鷹となり、われは雉とぞなりたりける、遁れ交野の狩場の吹雪に、空も恐ろしい地を走る、犬鷹に責められて、あら心うとうやすかた、安き隙なき身の苦しみを、助けて賜べや御僧、助けて賜べや御僧と、言ふかと思へば失せにけり。(地唄)

 (解説)能の「善知鳥」から取ったもので、陸奥外の浜への途次、立山に立ち寄った僧が、地獄そのままのような恐ろしい光景を見て下山すると、一人の老人が現れ外の浜で亡くなった猟師の遺族を訪ねて、自分を供養するよう伝言して欲しいと言い、これを証拠にと着衣の片袖を引きちぎって渡し姿を消す。僧は外の浜でその妻子を訪ねる。残されていた衣に袖はぴたりと合った。弔いを受けて猟師の亡霊は姿をあらわす。子の鳥を殺した報いで、我が子の髪をなでようとしてもはたせない。親が「うとう」と呼べば子は「やすかた」と答える。子の鳥の習性を利用して猟をしていたこの者は、生前の所業を再現して見せた後、地獄の責め苦として、雉になった自分が鷹になった善知鳥に追われ逃げ惑う姿を見せて、僧に助けを乞う。

 子鳥を奸計によって、捕らえられ殺された親鳥が化鳥となって、漁師を罪びととして責めたてる。津軽での話。
血の雨に濡れじと笠や蓑を傾けしも間にあわずここあちらと逃げ惑えども血の雨は降り止まず。
くろがねの口ばしを鳴らし、羽を叩き、あかがねの爪を研ぎたてて、眼を掴まれ肉を裂かれ、叫ぶとすれど猛火の煙、逃げんとすれど立つこともならず、空に鷹、地に犬の狩場の生命さながら。
」という凄まじさだ。

 気持ち、分かるよ、善知鳥(うとう)くん。善知鳥とは善きことを知らせる鳥という意味のようで、元々は気立てのよい親子の絆のとても強い鳥だということだ。



(室町時代の津軽海峡冬景色だ)
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【読書メモ】さそり座の物語
2009-09-14 Mon 18:56
 聖路加の日野原先生とグリーフケア研究所の所長になる高木慶子さん(シスター)の対談集「輝いて人生」を読んでいたら、宮沢賢治の銀河鉄道の夜の一節「さそり座の物語」のことが紹介されていました。
 人生の終末期を迎えると、自分の人生を振り返り、罪悪感に苛まれる人が多いのだそうです。そういう人に高木先生は宮沢賢治の「さそり座の物語」という絵本を読んであげるのだそうです。

 そうすると「今からでも決して遅くないんだ、と皆さん安心されるのです」と高木先生はおっしゃっています。

 銀河鉄道の中でジョバンニが叫ぶ「僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。」ということを納得されるのでしょうね。仏教で言う「捨身供養」なのでしょうか。

 ここまでくるとキリスト教も仏教も変わりないのでしょうね。
川の向う岸が俄かに赤くなりました。楊の木や何かもまっ黒にすかし出され見えない天の川の波もときどきちらちら針のように赤く光りました。まったく向う岸の野原に大きなまっ赤な火が燃されその黒いけむりは高く桔梗いろのつめたそうな天をも焦がしそうでした。ルビーよりも赤くすきとおりリチウムよりもうつくしく酔ったようになってその火は燃えているのでした。

「あれは何の火だろう。あんな赤く光る火は何を燃やせばできるんだろう。」ジョバンニが云いました。
「蝎の火だな。」カムパネルラが又地図と首っ引きして答えました。
「あら、蝎の火のことならあたし知ってるわ。」
「蝎の火ってなんだい。」ジョバンニがききました。
「蝎がやけて死んだのよ。その火がいまでも燃えてるってあたし何べんもお父さんから聴いたわ。」
「蝎って、虫だろう。」
「ええ、蝎は虫よ。だけどいい虫だわ。」
「蝎いい虫じゃないよ。僕博物館でアルコールにつけてあるの見た。尾にこんなかぎがあってそれで螫されると死ぬって先生が云ったよ。」

「そうよ。だけどいい虫だわ、お父さん斯う云ったのよ。むかしのバルドラの野原に一ぴきの蝎がいて小さな虫やなんか殺してたべて生きていたんですって。するとある日いたちに見附かって食べられそうになったんですって。さそりは一生けん命遁げて遁げたけどとうとういたちに押えられそうになったわ、そのときいきなり前に井戸があってその中に落ちてしまったわ、もうどうしてもあがられないでさそりは溺れはじめたのよ。そのときさそりは斯う云ってお祈りしたというの、

 ああ、わたしはいままでいくつのものの命をとったかわからない、そしてその私がこんどいたちにとられようとしたときはあんなに一生けん命にげた。それでもとうとうこんなになってしまった。ああなんにもあてにならない。どうしてわたしはわたしのからだをだまっていたちに呉れてやらなかったろう。そしたらいたちも一日生きのびたろうに。

どうか神さま。私の心をごらん下さい。こんなにむなしく命をすてずどうかこの次にはまことのみんなの幸のために私のからだをおつかい下さい。って云ったというの。そしたらいつか蝎はじぶんのからだがまっ赤なうつくしい火になって燃えてよるのやみを照らしているのを見たって。いまでも燃えてるってお父さん仰ったわ。ほんとうにあの火それだわ。」
「そうだ。見たまえ。そこらの三角標はちょうどさそりの形にならんでいるよ。」

 ジョバンニはまったくその大きな火の向うに三つの三角標がちょうどさそりの腕のようにこっちに五つの三角標がさそりの尾やかぎのようにならんでいるのを見ました。そしてほんとうにそのまっ赤なうつくしいさそりの火は音なくあかるくあかるく燃えたのです。

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「納棺夫日記」を読んで
2008-10-30 Thu 22:53
納棺夫日記 (文春文庫)納棺夫日記 (文春文庫)
(1996/07)
青木 新門

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 映画「おくりびと」のもとになったという青木新門さんの「納棺夫日記」がようやく文春文庫から増刷販売されました。映画はまだ見ていませんが、原作とも言えるものを先に読むのが私のやり方です。
 青木さんはもともとは詩人だったそうですが、作家の吉村昭(故人)に見いだされて、小説を書くようになったらしい。だからでしょうか、文章がとても詩的なのです。

 この日記は富山県で「納棺夫」として仕事をしているときの事をかいたものですが、人との生と死を見つめた優れた人生論にもなっています。
生死一如

 このことを詩人らしく、雨でもない、雪でもない「みぞれ」にたとえています。生も死も分ける必要はなく、一体のものだととらえています。

 詩人だからでしょうか、随所に詩、短歌などがちりばめられていて、この本の精神性はとても近しく感じます。

 後半部分には、新たにかきおろした「『納棺夫日記』を著して」という一文が追加され、そこに正岡子規が亡くなる前に書き記した言葉が載っています。
悟りといふ事はいかなる場合にも平気で死ぬる事であると思つて居たのは間違ひで、悟りといふ事はいかなる場合でも平気で生きて居る事であった。

 そう、辛くても生きている事、これが悟るといことなのですね。私も漠然と感じていた事です。

 とても不思議な本に出会った気が強く、深くします。映画を見るのが楽しみになりました。
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事業継続マネジメント構築の実際、発売
2006-11-08 Wed 09:29

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