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犬の学校
2009-09-20 Sun 22:07
 今日は秋彼岸のお参りをしてから、ももちゃんを「犬の学校」に一日入学させました。
 満一歳になってからももちゃんの無駄吠えが増えました。社会化ができていないせいとは分かっていますが、ちょっと訓練が必要なほどです。

 午後に学校に連れて行ったら、すぐに壁の花になり、一歩も壁際から動きません。震えています。家にいるときのように、ぽぽちゃんを追いかけ回して、ぺしぺし叩いている弁慶さんはどこにいったのでしょうか。

 インストラクターのお姉さんやお兄さんが指導してくれて、アイコンタクトの方法や「待て!」の訓練などを1時間ほどやりました。私も慣れないので、上手くできず、疲れましたが、ももちゃんも周りのわんこにかこまれ、人にかこまれ、神経がぐったりの様子でした。



 おかげで少し聞き分けがよくなったように思います。いつもなら、今頃ワンワン吠えているのですが、もうすっかり白河夜船のようです。

 この犬の学校で教えてもらったことを明日もやってみたいと思っています。 「まだ、一切ですから大丈夫」というインストラクターの言葉を信じて。
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【読書メモ】さそり座の物語
2009-09-14 Mon 18:56
 聖路加の日野原先生とグリーフケア研究所の所長になる高木慶子さん(シスター)の対談集「輝いて人生」を読んでいたら、宮沢賢治の銀河鉄道の夜の一節「さそり座の物語」のことが紹介されていました。
 人生の終末期を迎えると、自分の人生を振り返り、罪悪感に苛まれる人が多いのだそうです。そういう人に高木先生は宮沢賢治の「さそり座の物語」という絵本を読んであげるのだそうです。

 そうすると「今からでも決して遅くないんだ、と皆さん安心されるのです」と高木先生はおっしゃっています。

 銀河鉄道の中でジョバンニが叫ぶ「僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。」ということを納得されるのでしょうね。仏教で言う「捨身供養」なのでしょうか。

 ここまでくるとキリスト教も仏教も変わりないのでしょうね。
川の向う岸が俄かに赤くなりました。楊の木や何かもまっ黒にすかし出され見えない天の川の波もときどきちらちら針のように赤く光りました。まったく向う岸の野原に大きなまっ赤な火が燃されその黒いけむりは高く桔梗いろのつめたそうな天をも焦がしそうでした。ルビーよりも赤くすきとおりリチウムよりもうつくしく酔ったようになってその火は燃えているのでした。

「あれは何の火だろう。あんな赤く光る火は何を燃やせばできるんだろう。」ジョバンニが云いました。
「蝎の火だな。」カムパネルラが又地図と首っ引きして答えました。
「あら、蝎の火のことならあたし知ってるわ。」
「蝎の火ってなんだい。」ジョバンニがききました。
「蝎がやけて死んだのよ。その火がいまでも燃えてるってあたし何べんもお父さんから聴いたわ。」
「蝎って、虫だろう。」
「ええ、蝎は虫よ。だけどいい虫だわ。」
「蝎いい虫じゃないよ。僕博物館でアルコールにつけてあるの見た。尾にこんなかぎがあってそれで螫されると死ぬって先生が云ったよ。」

「そうよ。だけどいい虫だわ、お父さん斯う云ったのよ。むかしのバルドラの野原に一ぴきの蝎がいて小さな虫やなんか殺してたべて生きていたんですって。するとある日いたちに見附かって食べられそうになったんですって。さそりは一生けん命遁げて遁げたけどとうとういたちに押えられそうになったわ、そのときいきなり前に井戸があってその中に落ちてしまったわ、もうどうしてもあがられないでさそりは溺れはじめたのよ。そのときさそりは斯う云ってお祈りしたというの、

 ああ、わたしはいままでいくつのものの命をとったかわからない、そしてその私がこんどいたちにとられようとしたときはあんなに一生けん命にげた。それでもとうとうこんなになってしまった。ああなんにもあてにならない。どうしてわたしはわたしのからだをだまっていたちに呉れてやらなかったろう。そしたらいたちも一日生きのびたろうに。

どうか神さま。私の心をごらん下さい。こんなにむなしく命をすてずどうかこの次にはまことのみんなの幸のために私のからだをおつかい下さい。って云ったというの。そしたらいつか蝎はじぶんのからだがまっ赤なうつくしい火になって燃えてよるのやみを照らしているのを見たって。いまでも燃えてるってお父さん仰ったわ。ほんとうにあの火それだわ。」
「そうだ。見たまえ。そこらの三角標はちょうどさそりの形にならんでいるよ。」

 ジョバンニはまったくその大きな火の向うに三つの三角標がちょうどさそりの腕のようにこっちに五つの三角標がさそりの尾やかぎのようにならんでいるのを見ました。そしてほんとうにそのまっ赤なうつくしいさそりの火は音なくあかるくあかるく燃えたのです。

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